国民健康保険の都道府県化/学校現場での教育勅語の使用について/道徳の教科化について(2017年6月議会)

3番目の質問「公民館について」は、時間の都合で次回以降にさせて頂きます。

国民健康保険の広域化、県単位化について伺います。

「保険料が高すぎる。なんとかならないか」と、先日も地元で悲痛な声を頂きました。年金生活者と非正規労働者が全体の7割を占め、加入者の平均所得が低い国保は、所得に占める一人当たりの保険料負担が約10%です。協会けんぽの7%や組合健保の5%と比べても高い。本市では14000世帯、実に7世帯に1世帯が滞納しています。

市長に伺いますが、7世帯に1世帯が滞納している。これは「払いたくても払えない」世帯が大多数だというご認識をお持ちでしょうか。ご答弁ください。

本市の一人当たりの国民健康保険料は、1989年には年間55000円程度でした。しかし2015年度は年間81000円と、約26000円も増えています。4人家族なら10万円増しです。一方で同時期、国保会計に占める国庫支出金の割合は、33%であったものが19%にまで落ちています。

私は保険料が増えた原因は、国保会計に占める国庫支出の割合が減ったことにあると思いますが、市長はそうしたご認識をお持ちですか。お答えください。

また高齢化が進み、医療費が増えるなかで払える保険料にするには、国庫支出金割合を以前のように医療費の5割に戻すなどして引き上げるしかないと思いますが、市のご認識を伺います。

 

しかし国はそうはせずに、来年度から国民健康保険を広域化します。市町村が担ってきた国保の財政運営だけを都道府県が行い、納付金制度をつくることで、相対的に所得の高い市町村に、所得の低い市町村を支えさせようとしています。国の責任を放棄する制度改定だと思います。

千葉県はこのため、納付金とそのための保険料の試算を市町村ごとにすすめています。船橋市は2015年度決算の保険料より、年間23231円の引き上げ。県内で2番目に高い引き上げ額です。保険料が2割上がる計算です。

今でも7世帯に1世帯が滞納しているのに、2万円も保険料が上がれば、とても払えるものではありません。

広域化後も、実際に保険料を決めるのは船橋市です。不安を感じている市民に対し、保険料は現状維持すると明言すべきではないでしょうか。ご答弁ください。

 

保険料は所得に応じて払う応能負担と、決まった額を払う応益負担の組み合わせで計算されています。船橋市の国保の医療分は、応能負担が63%、応益負担が37%の比率です。しかし千葉県の試算では54対46の比率です。千葉県のいう通りにしますと、応能負担が減って、応益負担が増えることになり、所得の低い人ほど負担が重くなってしまいます。少なくともこの比率、船橋市は現状維持すべきだと思いますが、ご見解を伺います。ご答弁ください。

 

また試算に使われた2015年度決算の保険料には、船橋市が保険料の引き上げを抑えるために一般会計から繰り入れた、「法定外繰入れ」が含まれています。

ところが千葉県が策定中の国民健康保険運営方針の素案には、「法定外繰入れは解消・削減に務める」とあります。

2015年度の本市の法定外繰入れは、一人あたり平均で18000円です。もしこれをなくせば、来年度の保険料の最大の引き上げ額は、ひとり41000円にもなる可能性があります。3人家族なら年間12万3千円の値上げです。到底払いきれるものではありません。

県の運営方針は努力義務で、強い圧力になりますが、まだ決まったわけではありません。

3月議会で、私が法定外繰入れの削減方針をなくすよう千葉県に求めるべきだと申し上げたところ、副市長は「財政運営は、ある程度予想できる数字が見えてきたなかで判断したい」とお答えになりました。

数字が見えていますので、ただちに県に対し、法定外繰入れ削減方針を削除することを求めるべきだと思いますが、いかがでしょうか。お答えください。

 

続いて学校教育、教育勅語と道徳の問題について伺います。

安倍政権は3月、教育勅語の学校での使用を容認する国会答弁を行いました。憲法と教育基本法に反しない形ならよいというものです。

教育勅語は戦前、日本国民の道徳と教育を支配し、戦争推進の道具になりました。戦後は肯定的な使用はできないと政府も答弁してきましたが、この一線を超えようとする重大発言です。

文科省は教育勅語の使用において、何が憲法に反するのかは、所轄庁、公立学校では教育委員会が判断することだと答弁しています。国が見識を持たないことは許されませんが、市の判断が重要になります。

教育勅語を学校で使うことについて、市長と教育長は、どのようにご判断されますか。お答えください。

 

教育勅語には12の徳目が示され、「親孝行や夫婦は仲良くなど、今に通用することも書いてある」とよく言われます。しかしそうした徳目は全て「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼す」、つまりいざという時には大義と勇気をもって天皇国家のために命を捧げ、天皇国家を助けるためのものと位置付けられています。

 

また一見ふつうの徳目にも、深刻な意味が込められています。例えば「夫婦相和し」、現代語では「夫婦仲良く」ですが、戦前の道徳教科書では、「夫婦は互いにその分を守って睦びあい扶け合わなければならない」と解説されている。男尊女卑の見地から、夫の立場、妻の立場をわきまえよという意味です。

 

戦前の勅語の公的解説書「勅語衍義」では、もっと詳しく解説しています。読みますが、「夫たるものは妻を愛撫して、もってその関心を得るべく、また妻たるものは夫に従順にして、みだりにその意思にも逆らわないことを務むべし」。

「妻はもともと体質脆弱にして、多くは労働に耐えざるものなれば、夫はこれを憐れみ、力を極めてこれをたすけ、危機に遭いてはよくこれを保護すべく、また妻はもともと知識才量多くは夫に及ばざるものなれば、夫が無理非道を言わざる限りは、なるべくこれに服従してよく貞節を守り、みだりに逆らうところなく…」というものです。

妻は体質も知識も才能も夫にかなわないのだから服従するのがいい。そうして夫婦が和をつくることで国家を助けよというものです。

徳目のすべてがこういう調子で、天皇国家のためです。こういう教育勅語は主権在民、男女平等の現代に通用するとは到底思えませんが、市のご見解を伺いますので、お答えください。

 

この教育勅語は終戦後、1948年の国会で、排除決議と失効決議が全会一致で採択されました。学校から教育勅語を排除、措置完了することを政府に求めています。決議案の提案者である松本淳造衆院文教委員長は、「勅語には部分的には真理が認められるが、勅語の枠のなかにあるかぎり、どんなものも認められない」と述べました。

これを受けて当時の森戸文部大臣は、国会で「本決議の精神の実現に万全を期したい」と述べ、趣旨徹底をするようにと通達を出しました。この通達は今でも政府と文科省が引き継いでいると国会で確認されています。

となると学校で教育勅語を教材にするとすれば、侵略戦争の推進力となった事実を語るという、否定的な使い方以外にはありえないと思いますが、市のご見解を伺います。お答え下さい。

 

次に道徳の教科化について伺います。

国は来年度から小学校、再来年度から中学校で、道徳を教科にします。文科省の検定に合格した教科書を使って授業を行い、国定道徳を子どもに押し付け、評価もする。このこと自体が子どもの多様性を認めない、思想良心の自由を脅かす憲法違反の行為だと思いますが、市のご見解をお答えください。

 

検定に合格した8社の教科書の一部を私も読みました。義務と権利はセットだとか、税金を払いたくても払えない人もいることに配慮がなく、「払わない人はどんな気持ちなんだろう」と書かれているなど、色々問題だと思いましたが、特に1社、教育出版の道徳教科書は、大変不適切だと思いました。そしてこれについて5日、子どもと教科書全国ネット21が談話を発表しました。次の内容です。

 

第1に、小学2年で扱う「国旗・国家」ですが、「君が代」の歌詞の説明は「日本がいつまでも平和で栄えるようにとの願いだ」と虚偽の説明をしている。1999年の国旗国歌法制定の際の政府見解では「君が代の君は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇を指す」とされています。君が代の「代」は一般的に「時」「時代」を意味しますので、そうなると君が代は今でも「天皇の時代が永久に続くことを願う」という意味になります。

また君が代斉唱時に起立・礼の行動まで写真入りで指示をしている。歌わない自由があること、内心の自由があることは書かれていません。

第2に、5年生の教科書には安倍首相や東大阪市の野田市長の写真を載せている。必然性がない載せ方です。現役政治家の教科書掲載は、「義務教育諸学校教科用図書検定基準」にある「特定の個人、団体などについて、その活動に対する政治的または宗教的な援助や助長となるおそれのあるところはないこと」に違反し、教育の政治的中立を侵している。

第3に、教育出版だけが、豊田、松下、本田など経済界での成功者を多く掲載している。検定基準の「特定の営利企業の宣伝になるおそれのあるところはないこと」に違反しているのではないでしょうか。

第4に、おじぎの仕方まで指示をし、子どもたちの行為を型にはめる規制が強い。

 

私もこの談話に賛同します。とりわけ恣意的な教科書と言わざるを得ません。

こういう教科書を検定で通した文科省の責任は重大ですが、市長と教育長は、この道徳教科書について、どのような所見をお持ちなのかを伺いたいと思います。ご答弁ください。

 

また新学習指導要領でも、「長年にわたり積み重ねられてきた教育実践や学術研究の蓄積を生かしながら、児童や地域の現状や課題を捉え」と、学校の創意工夫の必要性を認めています。

教師や学校によって道徳の授業のあり方が違うのは当たり前だという柔軟な姿勢が実質的に認められるべきですが、市のご見解を伺います。